B種接地工事の重要性を等価回路で検証してみた

記事を作るに至った経緯

B種接地工事は,その施工方法と必要性が参考書やインターネット記事に紹介されているが,あまりにも端的に説明されているのか,その重要さが読み手に対しあまり訴えかけられていないように思える。

本記事ではB種接地工事を施工するきっかけとなった,明治時代の変圧器混触による人災事故を紹介すると共に,その時の事故状況を再現した等価回路を作成することでB種接地工事の必要性を示す。

そもそもB種接地工事とは何か

B種接地工事とは高圧から低圧に変換する変圧器の二次側を地面と接続することで,変圧器内部で一次巻線と二次巻線の混触が生した際に二次側に異常電圧がかからないようにするものである。
この変圧器から給電される配電は接地配電方式と呼ばれており,一般的に世間で幅広く使用されている。

よく見かけるのは電柱に設けられた柱状変圧器のB種接地工事である。

(柱状変圧器)

(B種接地工事)

このB種接地工事が施工されると,機器側の絶縁不良により生じた漏電部に人畜が触れることで感電が生じたり,地絡回路が形成されることで火災が生じることになる。

よって,これらの事故が生じぬように機器接地をすることで,漏電部と大地間を等電位にしたり,漏電遮断器を設け,地絡電流を検出することで電路を遮断することになる。

世の中には非接地配電方式というものもあり,なぜここまでB種接地工事が必要なのだろうか。混触が生じることで,どのような事故が生じるのか具体的な事例を示しているのが少ないと感じる。

次項ではその点について述べる。

B種接地工事のきっかけとなった明治時代の事故

B種接地工事の施工を工事規定に織り込むきっかけとなった事故の一つである変圧器内での混触により生じた悲惨な事故を紹介する。

明治30年(1896年)10月にすき焼き屋老舗の江知勝(2020/1/31に閉店)の女中が夕方に電燈を肉切場から入口の履物の場所に移そうと,電燈コードに触れた際に感電し,亡くなった。

変圧器(2000V/100V)の1次側と2次側が混触していたこと,雇女は水仕事の後であり手に水分を含んでいたこと,事故が生じた数日間は雨天続きでだったとのこと,など様々な要因が重なったことが悲劇につながった。

明治29年(1896年)に浅草発電所にて国産初の交流単相発電機(IHI製)を使用し始めたところであった。

生々しい当時の事故を物語った記事を以下に記す。

○コードに觸れて變死を遂ぐ

十月六日午後五時十分神田錦町二丁目三番地牛肉店江知勝方の女中おはな(十五)が肉切場より電燈を入口の下足の處へ移さんと電燈紐(コード)に手を掛くると同時にアット一聲叫びし儘其の場に打倒れて苦しむ体に家内の者共大に驚き一同駆付け見たるにおはなが右の手にて押へし電燈紐の電氣いかにして感じけん同人の中指及び人差指等に線は焼付き居るに愈々騒ぎ立ちしが主人万吉が有合せし肉切庖丁にて右の電燈紐を切斷したれば漸くおはなの手より電燈紐は離れたり依て直様向川岸小川町二番地なる高橋醫師を招き診察を乞ひたるも其時おはなは既に死し居たれば如何とも詮方なく夫々届出の手續を爲したる由なるが扨はなが致死の原因に就て聞く處に據れば此二三日間は毎日雨天つヾきにて室外電燈線の絶縁抵抗は餘程あしかりしものと見へ江知勝の近傍には電燈使用の家六十餘軒あり然るに去る六日點燈の際其線に觸れたるに例になくビリビリと電氣を指頭に感じたる者兩三名ありしよしにて電線の破損したるものと思料し修繕方を電燈會社に請求し來りし間もなくハナ變死の事は起りたり右の如く指頭に電氣を感じたるは該方面の布設しある變壓器に於て一時線即高壓線(二千「ボルト」)と二次線即室内に通ずる百「ボルト」のものと接觸せしか又は同架線路中にて一次と二次線接續したる箇所あるに依ることなるべしと又聞く處に據ればはなは水仕事の後にて手に水分を含み居り且又コードを堅く握りたる儘地上に立ちたりと云へば手より全身を通じ足部より地中へ電路を作りたるものならん何せよ注意すべきとなり

wikisource: 最初の高圧感電死
https://ja.wikisource.org/wiki/最初の高圧感電死

当時の新聞より”地中へ電路を作りて”とあり,地絡事故であったことがわかる。次項では当時の状況を回路図にて再現し検証を行う。

変圧器混触による感電事故を等価回路により再現する

本項では前項で述べた変圧器混触による感電事故を簡易的な回路モデルにより再現する。
今となっては当時の電線系統は不明のため,以下の通り条件を設定/仮定する。
・浅草発電所に設けられた発電機は単相2000Vである。
・需要家に給電する電圧100Vである。
・電源周波数は50Hzである。
・発電機から変圧器までの系統と大地間に生じる静電容量は,電線亘長10km。対地静電容量0.51μF/kmとする。(当時のケーブル仕様は不明のため,あくまでも仮値です。ご了承ください。)
・人体抵抗は500Ωとする。
・接触抵抗は300Ωとする。
・変圧器及びケーブルのインピーダンスはゼロとする。
・地面の抵抗はゼロとし等電位とする。

上記の状況を回路として表すとRCの直列回路となり,以下の数式が得られる。

$$V_{S}=I_{g}(R_{B}+\frac{1}{jωCs})$$

$$Vs=2000{[V]}$$
$$R_{B}=500+300=800{[Ω]}$$
$$ω=2\pi{f}=2×3.14×50=314{[rad]}$$
$$C_{S}=0.51×10^{-6}x10=5.1×10^{-6}{[F]}$$
上記数式から人体に流れる電圧及び電流は以下の通り得られる。
電流:Ig=1.97[A]
電圧:Ig・RB=1577[V]
上記計算はケーブルのインピーダンスや地面の抵抗を無視しているので,上記結果はあまりにもオーバーであり,実際はこれらの値よりも低いことが予想される。しかしながら,人体に対する電流値は20mAで膠着電流,50mAで生命の危険が脅かされる電流,100mAで致死電流と言われていることから,当時発生した事故は起こるべくして起きた事故と言わざるを得ない。
B種接地工事の規定により,混触が発生した場合においても二次側電圧を原則150V以下に抑えることが求められることになった。日常生活で安心して電気が使えるようになった今,改めて先人たちの犠牲と努力に感謝したいと思う。

参考文献

接地抵抗値の計算並びに地絡電流の計算(電験過去問付)

https://www.jeea.or.jp/course/contents/12141/

系統接地と機器接地

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieiej/33/11/33_825/_pdf

接地工事の歴史

https://www.chiko.co.jp/setti/faq/008-3.html

明治期よちよち歩きの電気技術

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1994/114/12/114_12_822/_pdf

明治中期東京市における電気供給と配線網の成立過程について-東京電燈会社における電気事業展開とその需要者-

https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/54/3/54_1336/_pdf/-char/en

感電ってなんだろう

https://www.ksdh.or.jp/pages/wp-content/uploads/2013/04/materials_ws_office_2.pdf

技術, 電験3種

Posted by Gin